椎名林檎の17名言 1件から17件までを表示
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- 椎名林檎
椎名 林檎(しいな りんご、Sheena Ringo[1]、1978年11月25日 - [2])は、日本のシンガーソングライターであり、ロックバンド・東京事変のボーカリスト。有限会社黒猫堂、EMIミュージック・ジャパン/Virgin Music所属。2009年芸術選奨新人賞受賞[3]。2003年頃までは「新宿系自作自演屋」を自称していた。
シンガーソングライターの椎名純平は実兄。イラストレーター・ブックデザイナーの辰巳四郎はおじであった[4](その娘であるイラストレーターの藤森玲子はいとこにあたる)。
埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれ、父親の転勤により2歳のとき静岡県清水市(現・静岡市清水区)に移り、中学校1年までの約10年間を静岡で育ち[5]、1991年12歳から福岡県福岡市早良区で育った[6]。中学2年から高校中退までの約5年間が福岡育ち[6][7]。母親は広島(東広島市)の出身[8][9]。幼少時からピアノとクラシック・バレエを習うが、 先天性食道閉鎖症の手術の後遺症で体の左右均等に力を入れることができなくなり、10年以上続けていたバレエとピアノを断念したという[10]。
中学時代、友人とバンドを結成。学園祭等で何度か活動をするも解散。その他、学内外含めて合計20以上のバンドの全ての楽器パートを掛け持ちで担当していたという。中学・高校と、ピザ屋や警備員等のバイトをしながらも、デモテープを作る日々を送る。西新の某音楽教室にも通っていて、その時のギターの講師に「りんご」か「林檎」を相談した結果、芸名が「椎名林檎」で決定したという。初ライブをした会場は福岡市西新の『西新JAJA』というところだったという。
1994年、ホリプロタレントスカウトキャラバンに出場。しかし、本人はアイドルを発掘するイベントだという認識がなく、“全国大会に進むまで、水着審査があるなんて知らなかった”と、ある地方局のラジオ番組で述懐している。
1995年、ヤマハ「第9回 TEENS' MUSIC FESTIVAL」にバンドで全国大会に出場し、奨励賞を受賞。このときの出場者であるaikoや谷口崇とは、音楽活動やプライベートを通じた交流をするようになる。1996年、ヤマハ「The 5th MUSIC QUEST JAPAN FINAL」出場、優秀賞を受賞[11]。